Digital 四季彩感-森羅万象-PhotoBlog

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冬の高ボッチ高原・シカとの出会い

前夜に積もった雪をかき分けて愛車X-TRAILは高ボッチへつながる林道を登攀していく。
漆黒の闇が除々に明けてゆく。撮影目的は、氷結する諏訪湖を交えた朝焼けの富士山の遠望である。
頭上は星空であるが、富士山は厚い雲に覆われている。富士山が望めないが、とりあえず眼下に見える諏訪湖と街あかりをいれた構図で黎明期を撮影する。
折からの積雪は、木々に冬の彩りを添えている。富士山はあきらめ斜光がさす頃の高原風景
に切り替える心づもりをする。現場には松本から見えたとおっしゃるK氏と二人だけ。K氏が尾根にシカが現れたと教え下さった。目を凝らすと眼下の斜面に多くのニホンジカがいる。願ってもいない撮影チャンス。なかなか望む位置スタイルになってくれないが夢中でシャッターを切った。悲しいかな、三脚のネジが移動途中に落ちて雲台の固定がままならない。サンニッパーはぶらぶらとぶらつく。

気づけば尾根越に太陽が輝きだした。あたりはこれぞ冬の高ボッチ風景という見事な景観を作っていた。
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by crewcs77 | 2006-01-28 21:41

栄枯盛衰

デジタルの機器の進化はめまぐるしく、各メーカーとも生き残りをかけた開発、販売競争が繰り広げられている。その競争に敗れることは淘汰を余儀なくされる。つい先日、Nikonが発表したフィルムカメラからの撤退(2機種のみ残存)は、エンドユーザーからすれば衝撃的なものであったが、その数日後、コニカミノルタがコアビジネスである(あった)フィルム及びカメラ生産から撤退するという報道は、それに拍車をかけた。コニカはすでに約20年前に「さくら」ブランドを捨て、コニカに統一して富士フィルムに次ぐシェア維持を目途としてきた。またカメラにおいては世界初の自動焦点カメラを開発し、ジャスピンコニカで一世を風靡してきた老舗中の老舗である。またミノルタも一眼レフではロッコールレンズとともに定評で、古き時代の一眼レフ市場を牽引してきた名門である。コニカがさくらブランドを捨てる頃には、「オートフォーカス一眼レフα7000」を世に出し、世界市場を席巻する商品を開発した。

資本主義の原理原則や時代の趨勢ゆえに止むをえないところがあるが、その昔、ビジネスにおいて両社ともかかわりをもってきた一個人としては感慨深いものがある。
何を隠そう(隠す必要は毛頭ないが)、私のビジネス界へのデビューは写真機材小売業である(今は業界も業種も職種も異なる)。某大手流通グループであったことから、小売業界においては店舗数も最大で、カメラ、フイルム、DPEにおいては国内マーケットのシェアを誇る会社であった。大卒といえど、はじめは現場修行がはじまる。若いときゆえに、目標があればがむしゃらにカメラを売りまくった。目標は売上高であり、同じ会社内の全国店舗のランキングである。今の時代で言えば超無謀であるが、利益なんかそっちのけ、売上が全て癒す戦略である。販売量、販売高においてメーカーに発言力を高め、仕入、値引き(バックマージン)交渉を強めていくという戦略である。そして仕入戦略としては、トップメーカーはあまりに相手にしない。トップメーカーとは利害の不一致が働くのである。圧倒的な流通量にモノを言わせて、業界2位以下のメーカーを贔屓にしていく戦術である。従って、フィルムメーカーであればコニカ、カメラ(一眼)であればキャノン、ミノルタといったところが手を組む相手となっていた。にもかかわらず、α7000が登場したときは、ド肝を抜かされた。なにせ、商品が潤沢に入らない。世には逆輸入品が出回ったが、それに手を出すわけにはいかない。現場としては商品さえあれば、いくらでも売れるから何がなんでも商品が欲しかった。顧客と約束をした日になっても入荷しないときもあり、他店では恥を忍んでヨドバシの店頭に購入に行ったというエピソードもある。α7000が誕生して、続いて、確か200/2.8の白レンズが128000円ぐらいの廉価で発売された。これがまた憧れの白レンズとしてよく売れたものだ。
また、コニカのフィルムをいかにして販売するか。この頃に「ママ撮って」が販売されたと思うが、店頭に陳列しているだけは売れるものではない。何もしないで売れるのは富士フィルムに決まっている。そこで販促企画として、フィルム2本セットに、今で言うプラレールのものをつけて販売することになった。恐らくそのおまけの方がフィルムより高かったと思う。売り場はたちまち、おもちゃ売り場の様相となった。子供づれの主婦を相手に爆発的な売れ行きを見せた。
かくして、がむしゃらには販売していた頃をいまだにふと思うが、その思い出とリンクするのがミノルタであり、コニカである。

千葉という慣れる土地の現場で、予算とランキングの闘いを3年間を過ごした。今思えば少しやりすぎたかも知れないと思うこともしばしば。表彰で認められることはあっても咎められることはまずなかった。ましてや、人事異動の発令先は本社・教育担当チーフであった。(ここでの思い出も尽きないものがあるが・・・)そしてその1年後、地区バイヤーを飛び越えて本社バイヤーとして、業界各メーカー、特約代理店との仕入れに携わってきた。厳しく言えば、日々メーカーとの価格交渉という決闘である。売上が全ても癒す反面で利を仕入れにあり。バイヤーは重責であったが、流通の中枢を担う仕事ができたことは今もって貴重な体験であった。その後、この業界(企業)においては、マーチャンダイザーという仕事を経験してスピンアウトした。
転職後、その会社はカメラ販売を撤退し、コアビジネスをDPEとして拡大発展していった。しかし、時代のデジタル化には勝てず、昨年、会社更生法を適用してしまった。
どんな業界、業種においても安泰できない時代である。
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by crewcs77 | 2006-01-25 21:53

ワークスペース公開

デジタル一眼を所有して3年半が経過する。その特性と利便さに魅力を感じて今日に至るが、その反面でデジタルに対する投資もかさんできている。D100を購入した際は、それまでのレンズシステムが活用できることから、とにかく高価であったがボディーだけの投資でなんとかなるものと思っていた。今その当時のレンズ群は手元に残存していない。全てのレンズをAF-Sに切り替え、あらゆる被写体に対応できるようにしてきた。またその後のカメラの進歩はめまぐるしく、昨年にはD70(D100はいまでも保有)を手放し、フラッグシップ機となるD2Xに至っている。
技量はさておき、カメラとレンズの性能に託している他ならない感じである。

写真をデジタル化した一方で、その器となるパソコンの投資も後を絶たない。約6年間で5台のパソコンを切り替えることになった。
昨年末には機動力を高めるために、ノート型パソコンも追加した。
これまで本体だけの切り替えで乗り切ってきたが、17インチCRTはぼちぼち買い替えの時期を迎えた。店頭に並ぶ液晶モニターはどれも目を見張るばかりの鮮やかさで、食指を動かされる。画像編集を中心にした場合、どのモニターが相応しいのかまったく見当がつかない。動画を中心に見る訳でもないし、輝度が耀るすぎるモニターは画像編集には向いていない。迷った挙句、画像には定評があるナナオ(EIZO)の19インチ液晶モニターに切り替えることにした。特徴は、輝度250・コントラスト比1000:1と画像編集には最適のものである。
これで関連するデジタル機器は充実が図れた。あとは腕を高めるだけ??
デスクの上もすっきりとして、ワークスペースの確保もできた。
進化するデジタル機器は際限がないものであるが、当分はこれでよしとしておこう。

ちなみに私のライフワークの手足となる機材は次の通り。
【カメラ】
 Nikon D2X/Nikon D100
【レンズ】
 Nikon AF-S ED300/2.8(Ⅱ)
 Nikon AF-S ED80-200/2.8
 Nikon AF-S ED28-70/2.8
 Nikon AF-S ED18-35/3.5-4.5
 Nikon AF-S DX17-55/2.8
 Nikon AF-S TC20E
【三脚】
 Velbon SuperAceⅡ
 Velbon EL Carmagune540
【カメラバック】
 Nikon フォトタックルケース イエロープロ(アルミケース)
 Nikon シューティングザックP-230
 Nikon アクションバックM
【カメラ保管庫】
 東洋リビング オートドライM
【パソコン本体】
 e-machines J3016(メモリ-1G-ハードディスク160GB)
【ディスプレー】
 ナナオ(EIZO) S190
【ノート型パソコン】
 NEC Lavie G(カスタマイズ仕様 メモリ-1G ハードディスク80GB、ファインスーパーEX)
【マイカー】
 NISSAN X-TRAIL 1年9ヶ月で49,000kmを走行。初回車検までの走行距離が思いやられる。息子が車の免許を取れば、セカンドカーとしてジムニーを検討中。

まったく持って道楽にも程があるが、「仕事以外に夢中になれるライフワークがあることは素晴らしいこと」と勝手な言い訳をしながら、家族をねじふせている。

画像は自宅ワークスペースです。
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EIZOの液晶モニターは定評があるだけ大満足。周辺の光量にも影響されず、画像を忠実に再現してくれます。


 
 
by crewcs77 | 2006-01-22 15:21

長閑な山のイノシシたち

イノシシの撮影時期は、うり坊が誕生する春から夏にかけてが旬であるが、この日はロケハン を兼ねて、某所へ出かけた。何しろイノシシを撮影するのは初めてのこと。だいたいの場所を探り当てたもののイノシシを発見することができない。耳を澄まして落ち葉がガザガザと音を立てる方向へ進む。「いたいた」。邂逅の一瞬であるが、誰もいない山中、孤独感も手伝って、「“猪突猛進”で飛びかかってきたらどうしよう」と怖さを感じる。

  しばらくするといのししを観察している常連さんたちがやってきた。いのししたちはよく知っていて顔なじみさんには甘えている様子だ。これで一安心。一人で山の奥へ奥へと探索を始めることにした。谷から1頭が下ってきて、愛嬌を振りまいてくれるのでモデルを依頼することにした。
何気なく谷底を覗き込むと岩場の影に1頭のいのししが死んでいる。途中まで下り、常連さんにそのことを伝えるとすぐに現場へ向かわれ、個体が確認された。足が悪かった「みどり」という個体であるらしい。観察メモによると平成6年春生まれ、享年11歳の生涯であったという。
 ハイキングに最適な長閑な山の冬の一日。いのししたちを見ながらのんびりとできるひとときであった。

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by crewcs77 | 2006-01-21 13:33

冬の雨にうたれ

記録的な豪雪は、もはや雪国でも災禍となりマスメディアは連日にわたって住民の悲鳴を取り上げている。スノーモンキーは雪に限る。雪が降ればと・・・被災住民には不謹慎ではあるが、この週末も雪が降ることを期待してマイフィールドである地獄谷へ出かけた。
天気予報は、南海上に発達した低気圧の影響で日本列島は全国的に雨と伝えている。それでも寒冷地だけに雨とは信じがたく、雪になることを期待する。
未明に通称“ホテル道の駅湯田中”に到着。月明かりに照らされた雪原が映える。明け方、ホテルの屋根(車の屋根)を打ちつける雨脚となる。午前8時、仮眠を明け、フロント横の売店(コンビニ)で朝食と昼食を仕入れる。上林温泉から徒歩で地獄谷に入る。木々に積もっていた雪が雨の重みに耐え切れず、枝ごと折れて落下している。年明けに訪れた時よりも雪の量ははるかに少なくなっている。
小雨はいつしか止み、撮影できる状態になった。朝から続々とカメラマンが訪れる。日本人より外国人の方が多い。米国人と思しき集団は、朝から温泉を取り囲むように“かぶりつき”状態である。中国人の集団もやってきた。こちらは寒さを凌ぐ親子の姿を根気よく熱心に撮影している
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。東西入り乱れて,僅かなスペースで繰り広げられるモデル!?撮影会。雪を交えて情緒的な姿を撮ろうとする東洋人とその一瞬を収めようとする西洋人。しばし、蚊帳の外からカメラマンウォッチングを楽しんでみた。
午後、雨は激しくなってきた。ハウスの屋根から轟音を立てて、雪の塊が落下する。落下した塊は半端な量ではない。雨は止みそうにもない。撮影よりもハウス内で談笑する時間が多かった
地獄谷ロケであった。
by crewcs77 | 2006-01-14 13:28

マイフィールドへ

遠征の疲れも十分に癒えたので、ぼちぼち出かけなければ体がなまる・・・と思っていた矢先の3日に、地獄谷野猿公苑スタッフのH氏からメールが届いた。吹雪でスノーモンキーを表現するには絶好のチャンス。すぐさま電話をして「明日、行くわ」ということで日付が変わるや否や、夜の道を長野へ走った。(早朝に自宅を出発しても十分であるが、長距離の場合はJHの割引を有効に使わなければ勿体ないのでこの時間帯を活用することになる)

松本あたりで空を見上げると星空がでている。いい天気なら豊科で下車してハクチョウを狙おう。梓川で仮眠をして日の出から8時ぐらいまで撮影するのも悪くない。しかも、この時間帯であれば豊科から信州中野まで100km以内となって、通勤割引で半額となる。

日の出前に犀川に立つ。星空はどこへやら、雲は立ち込めている。そこへ顔なじみの写真仲間がやってきた。瞬く間に時間は過ぎた。予定通り、ここでの撮影は8時までとして地獄谷へ急いだ。天気は曇り。昨夜までに降り積もった雪の多さを実感する。車を停めて徒歩30分。思えば9ヶ月ぶりの現地である。途中で息が切れてきた。ハウスについて新年の挨拶もそこそこにコーヒータイム。年末から今日までの予定でロケをされている写真家・戸塚学氏とご挨拶をさせていただき、会話がはずむ。期待していた雪はちらちらと降る程度で、おサルのあたまに雪帽子
ができるほどではない。撮影していたところスタッフH氏から青山Proを紹介してもらった。名古屋在住の先生で、カナダのことや北海道のことなど楽しく会話させていただいた。ここで沢山のプロの方と交流させていただけるはスタッフのH氏のおかげであり、かけがいなく有り難いことである。感謝!感謝!

今回も沢山の外国人が来苑している。口々に「スノーモンキー」を連発している。温泉に来たついでに来苑した女性同士が関西弁で話している。どうやら連れの女性が小ザルの表情を見て感激したらしい。それで相手の女性が「な、来て良かったやろ。あんた、はじめは行きたそうにしたなかったけど、絶対に感動するおもたもん。」・・・百聞は一見しかずである。私だって、はじめはサルには興味を示さなかった。イメージだってダーティーであったが、ここにきてそのイメー
ジは大きく変わった。そして、飽きもせず撮り続けている。

サルも人間同様に顔立ちはさまざまだ。同じ大きさの小ザルでも、どうも撮影を敬遠してしまう小ザルもいる。微妙なのだが・・・。
今回の撮影を終えて、今年、あるいは今後の撮影テーマを決めた。今シーズンに生まれた小ザルで母ザルを亡くしたサルがいる。姉に抱きついて寒さをしのいでいた。遺児になったこの姉妹。この冬をどう過ごしていくのか・・・顔の分別がつかないが、次回訪問時はスタッフに確認して、このサルたちの四季を追いかけてみたいと思った。

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by crewcs77 | 2006-01-04 22:25

2006年の幕開け

全国的に天気が崩れているようで、初日の出はおだやかな天気となる北海道だけが見込めるとの天気予報であった。どうせなら、このチャンスを活かしたい。でも「音羽橋」からならあまり初日の出という感じにはならない。前日に思案していたところ、オーナーから音羽橋を俯瞰する「山の上」への行き方を教えてもらった。撮影者は10人ぐらいであろうか。私以外は初日の出には興味がなさそうで、初日の出と向き合う場所は、私一人の独占場となった。この朝も気温はマイナス15℃であるが、手袋を外しても寒さを感じない。体がなれてきたのだろうか。
それともオレンジ一色となった見事な朝焼けに温かみを感じたのか・・・三脚2台をセットして1台は雪裡川に向け、1台は初日の出用にする。午前7時ジャスト、北の大地に朝日が昇り始めた。やがて、雪裡川にも斜光が差し込む。ファインダーを通してみると、気嵐に光線が差し込み金色に輝く。見事な情景であるが、これを忠実に再現することは残念ながら私の腕では未熟である。雪原に差し込んだ三脚は微妙に不安定さが伴う。レリーズの都度、衝撃を避ける工夫をしてみたが出来栄えは今ひとつであった。「まぁ、最初から上手くいくものではない。天気に恵まれただけ良しとしとこっ」と納得しながらホテルに戻った。

朝食はおせちと雑煮。できれば「あと1泊でも」と尽きないところである。朝食を済ませてチェックアウトする。女満別からのフライト時間を考慮すると鶴居村で滞在できる時間は10時半までとした。約1時間半をサンクチュアリーで撮影することにする。時折、飛来してくるが30羽ぐらいしかいない。寒く冷えた朝は“出勤時間”が遅いという。ギリギリまで待つが、タイムリミットを迎えた。片付けをすると案の定続々と群れでやってくる。
またまた、「こんなもんだなぁ」・・・。

空港までの復路、摩周湖に立ち寄り、美幌峠を抜けて女満別へ。

慣れる土地、慣れる時期、そしてはじめの被写体。見よう見真似で、一種の緊張感を感じながら瞬く間に過ぎた4日間であった。感覚などあろうはずがない。とりわけタンチョウ鶴をはじめとする野生動物に限っては、生態をよく知ることである。たった1回でチャンスを与えてくれる甘いものでないし、それだけの感性や腕前もない。飛行機から雄大な大地を見下ろしながら、心はすでに次の機会づくりへと飛躍していた。「この年末もまた同じ場所で過ごしたい。どうせなら、鶴居村をベースにして4泊ぐらいの行程にしたい。次はマイカーでの渡道だな」と助手兼付き添い人にそうつぶやていた。

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by crewcs77 | 2006-01-01 22:21