Digital 四季彩感-森羅万象-PhotoBlog

<   2009年 08月 ( 10 )   > この月の画像一覧

さよなら7000系パノラマカー

1961年(S36)のデビュー以来、名鉄の顔として親しまれ、また日本初の前面展望式電車として不朽の名車といわれた名鉄7000系(通称:パノラマカー)がこの日鉄路より別れを告げました。
ラストランは豊明-本宿-伊那-本宿間(本宿から舞木検車区までは廃車回送)での運転となりました。
7000系は昨年12月に定期運用から離脱し、この日までは4両1編成が残され、臨時団体向けに運用されていましたが、いよいよこの日をもって最終最後の営業運転となりました。
普段は閑散としている豊明駅。上空には報道用と思われるヘリコプターが旋回し、ホームでは、パノラマカーを見送る大勢の人で溢れていました。
豊明検査区から駅への入線時にもパノラマカー独特のミュージックホーンが連発されていました。
出発30分前でしたが、パノラマカーがホームに入線とともに駅舎で待機されていた乗客がホームへ誘導され、すみやかに乗車して、扉が閉められる措置がとられていました。安全確保のための措置と思われますが、私が撮影場所(境川橋梁)に移動した間に乗客を乗せたパノラマカーは名古屋寄りの留置線に転線して、再び3番ホームに転線するという記念列車ならではの特殊な対応を図っていたようです。
この最終運行の展望ビデオがYOU TUBEで公開されていました。(実に便利な世の中です)沿線や通過する各駅で見送る人々の多さ、さらには翌朝の選挙一色の新聞にあって、新聞各紙はパノラマカー引退の記事を写真入りで掲載していました。改めて、この車両に対する名古屋や三河の人の思い入れを感じました。
デビュー以来48年。同い年の引退に時代の流れを感じずにはいられませんでした。
e0056449_17265242.jpg

e0056449_1727437.jpg
e0056449_17271316.jpg
e0056449_17272378.jpg

【車内“さよなら放送”より】
昭和36年に登場以来、今日まで17622日、皆様の夢や思い、ときには人生を運び続けてまいりましたが、無事、今日卒業となりました。これでパノラマカーがお客様を乗せて走る姿を見ることや乗車することが永遠にできなくなります。しかし、今日ご乗車いただきましたお客様をはじめ、沿線でプラカードを掲げていたお客様、熱い思いで写真を撮っていたお客様、手を振って見送ってくれたお客様、そしてホームでこのパノラマカーの到着を待っていてくれるお客様、パノラマカーを思う心があれば永遠にパノラマカーはみんなの心の中を走り続けることでしょう。
ありがとうパノラマカー、さようならパノラマカー。
48年間、パノラマカーをご愛顧いただきましてまことにありがとうございました。
by crewcs77 | 2009-08-30 16:57 | 鉄道

富士山あれこれ

日本一を誇る富士山ですが、山頂には自動販売機が並び興ざめました。
販売されている缶ジュースは400円。ペットボトルが500円です。
山頂山小屋で販売されるMENUと価格は次の通りです。(記憶の範囲です。誤差があるかも知れません)
◇ホット牛乳    400円
◇ホットコーヒー  500円
◇みそ汁      500円
◇おしるこ      600円
◇みそラーメン   900円
ご来光までの時間は小屋に入れないほどの大混雑、大繁盛です。
僅か2ヶ月しかない営業期間だからわからないでもないが、実に商魂逞しいというか商売ご熱心です。
私たちが仮眠(3~4時間)した山小屋(八合目で350名の大収容規模)は、夕・朝食付で8,800円。
各地の山小屋とさほど変わらない価格ですが、食事の内容は・・・・でした。
夕食は画像の通りです。朝食は携帯食でレトルトの五目めしと超薄い食パン(ジャム入)と水250mlというものです。

頂上の気温は-1.5℃。風が強く吹いていたので体感温度はそれ以下だったと思います。
防寒対策がないと頂上には待機できないぐらいです。
Tシャツ2枚に開襟シャツ、それにフリーズ生地のシャツを着て、その上からレインコートを着て、ちょうど良いぐらいでした。この時期は五合目でも半そでのTシャツでは寒いぐらいです。
下山時は砂塵が顔に体に降り注いできます。頭には帽子、口にはマスク、ズボンの裾にはスパッツをつけるぐらいが良いと思います。耳の中まで砂塵で黒くなります。

富士登山ブームが長らく続いており、週末は大混雑しています。
7合目までは比較的スムーズにいけますが小屋が続く7合目からは登山道で渋滞が生じます。
頂上直前の岩稜地帯も長蛇にわたる自然渋滞箇所です。週末は頂上に辿り着けないことが多いようです。

高山病は8合目付近から発生します。仮眠時に影響がなければなんとか持つのではないかと思います。
携行酸素(ボンベ)はあまり効果がありません。登山中こまめに腹式呼吸(深呼吸)をすることが体を慣らすコツです。
一生に一度は登りたいと思う最高峰の富士山ですが、やっぱり富士山は登る山ではなく”見る”山です。
体力的な負荷は少ないのですが(山登りに慣れていれば)、単調なことと、高山病が難点です。
e0056449_20542618.jpg

ケイタイ画像(CA001)
by crewcs77 | 2009-08-27 20:55 | 風景

標高3776m

8月24日午前3時30分。気温マイナス1.5℃。
48年ぶりに中京高校が優勝したその日の未明、私は28年ぶりに富士山頂に立ちました。
富士登山としては通算3度目のチャレンジですが、皮肉なことにいずれもプライベートではなく仕事としての山頂アタックでした。28年前の2回は学生時代であり、旅行社の添乗員としての仕事でした。
今回は会社の若手社員の「体験学習」を企画、引率する立場で登ることになりました。
落石、高山病、低体温・・・諸状況、条件を考えれば非常にリスクの伴うものでした。
総勢25名、軽度の高山病症状を申し出る者がいたものの全員が山頂に立つことができました。
非日常的な環境下で神々しい来光を見てもらいたかったのですが、天のいたずら(日の出前後に限って積乱雲が東の空を遮る)によってご来光を拝むことはできませんでした。
富士山に限らず、世はまさに登山ブーム。ここ近年、富士登山は爆発的人気と聞いてはいましたが(平日でも予約手配はかなり困難)確かに想像を超える混雑でした。
e0056449_22254512.jpg

7合目付近(夕暮れが近づき期待通り、安定した空模様となってくる)
e0056449_2226567.jpg

7合目中間(影富士が雲海に映る)
e0056449_22274652.jpg

8合目前(赤岳の夕映え)
e0056449_22292596.jpg

8合目(黄昏時の彩り)
e0056449_22305740.jpg

山頂直下をみる(山頂を目指す登山道)
by crewcs77 | 2009-08-24 21:43 | 風景

一発勝負に挑む

この日は定番撮影地を避け、おっかけなしの一発勝負にでました。
第一撮影地は小河内トンネルにしました。
有り余る時間を潰して露出設定を行いましたが、コロコロと光線具合が変わり、露出設定で失敗しました。
煙もいまひとつでした。
この後、大原湖経由で徳佐で追いつくことができました。
おまけ撮影をした後、返しは白井にしました。
予てからイメージしていたアングルにこだわってみました。
e0056449_11371267.jpg

白井を堪能して、2年ぶりのやまぐちの夏を終えました。
復路、篠目で追いつきましたが、タッチの差で撮影することはできませんでした。
13年モノのセルボでは追いつくことができませんでした。
汽車の目的を達した後はもう一つの目的であるセルボ@下関車の廃車回送です。
アップダウンの繰りかえしとなる中国道では80-90km/hが限界速度です。
途中、宝塚先頭の渋滞もあり、山口から滋賀まで9時間の道程でした。
by crewcs77 | 2009-08-14 11:21 | 鉄道

今日の煙は期待大!!

この日は「のぞみ97号(新山口9:34着)」でやってくる滋賀のKさんと合流です。
新山口駅でピックアップして、定番撮影地「大山路」へ向かいました。
今日の煙は期待大です。
予想通り、長門峡、徳佐、返しの本門前ともにドレーンが切られ大演出です。
曇天に湿度が高かったこともあってか、津和野出発から白井まで続く勾配では酔いしれるような煙を吐き、谷に残る龍のような煙が印象的でした。
e0056449_1155932.jpg
e0056449_116137.jpg
e0056449_1162437.jpg
e0056449_117870.jpg

この日は、昨日、ご一緒に撮影しましたTさんが本務機に添乗されていました。
e0056449_11181567.jpg

昨日とは違う立場のTさんを後追いする。
by crewcs77 | 2009-08-13 10:52 | 鉄道

2年ぶりの「やまぐち爆煙」

この日は東京のSさんらと合流しました。
Sさんは肥薩線の撮影を終えて、昨夜、山口に移動してきました。
天気は、激しく降ったり、小雨になったり、薄日が差したりと超不安定な状況です。
大山路、長門峡、徳佐と煙堪能の定番撮影を展開しました。
e0056449_1033114.jpg

e0056449_10333399.jpg
e0056449_10334721.jpg

e0056449_10345298.jpg
e0056449_1035152.jpg

撮影を終えて、湯田の温泉で汗を流した後、この日のメンバー(7人)で「爆宴(煙)会」を行いました。
Sさん以外は初めてお会いする方々でしたが、楽しい方々に囲まれて爆飲してしまいました。
私を除く6名の中には、某大手旅客運輸事業会社にお勤めの方が2名いらっしゃり、鉄道談義にも花
がさきました。
3軒目までいかれた東京のMさん、博多のHさん、紅一点のKさんには脱帽です。
by crewcs77 | 2009-08-12 10:23 | 鉄道

予約変更が仇となる・・・

午前5時07分に発生した地震は予定していた旅路に影響を与えました。
前日まで予約していた新幹線は名古屋始発の「のぞみ97号」(6:50発)博多行きでした。
この予約を変更していなければ、名古屋始発の列車で地震の影響も受けずに西に向かうことができました。
ところが、この予約を変更して、出発を3時間遅らせたことが判断誤りで、モロに地震の影響を受けることになりました。
大幅な遅れと混乱を予想して、予定より2時間早く名古屋駅に出向きました。
午前8時の名古屋駅。運転再開をしたものの静岡県内は徐行運転をしており、新大阪方面ゆきは3時間以上の遅れとアナウンスしています。9時20分に名古屋始発の新大阪行きの「臨時こだま」が仕立てられ、これに乗り込みました。乗車率はラッシュ並みで、体勢を変えることもできない状態です。新大阪から山陽区間はほぼ定刻で運転されていますが、東海道からの乗り入れ列車がないため、こちらも大混乱です。とりあえず、混雑している広島行きに飛び乗りました。岡山から広島間でやっと座ることができました。先にも後にも座れたのはこの区間だけでした。広島からは臨時レイルスターに乗り継ぎ、やっとの思いで新下関に到着しました。
当初の予定では、名古屋を早く出発して、日本海(角島など)の撮影を予定していました。
前日の現地の天気は悪いとの予報で、これを信じて、予約変更したのが仇となりました。
ところが現地の当日は夏の青空が出ていました。がっかりです。
気を取り直して、汽車の撮影に向かいました。
しかしながら、思うところでの撮影には僅かの差で間に合わず撃沈です。
草臥れた体を湯田の温泉に浸って癒しました。
e0056449_10152827.jpg

by crewcs77 | 2009-08-11 09:32 | アラカルト

天候・曇/気温10℃/視界良好

立山駅 午前6:10 臨時便で美女平へ向かう。
天候は小雨。
美女平より高原バスにゆられ午前7:20 室堂に到着。
室堂の天候は曇り。視界良好。青空に映える稜線を望みたかったが、この夏にそのような景色は奇跡に近い。これだけの眺望でも「よし」。 
予定のコースは一ノ越から雄山、大汝山、真砂岳、別山をへて雷鳥坂を下る縦走コース。
午前8:10 一ノ越到着。
雲が多い天気にもかかわらず遠望が利き、富士山まで見渡せる。
午前9:00 雄山到着
標高3千メートル。
遠くまで見渡せた眺望もガスがかかり視界がなくなる。
やがて、激しい雨。
縦走を諦め、登ってきたコースを戻ることにする。
一ノ越からは遠回りになるが、雷鳥平へ抜ける道を選ぶ。
撮影をしながら約5時間のトレッキング。
山登りよりも復路2度の渋滞(ひるがの高原SA~白鳥/一宮JCT)がきつかった。
e0056449_9391877.jpg

by crewcs77 | 2009-08-09 09:17 | 風景

青い空・白い雲

今日から夏季休暇です。
前半は北ア登山にでかける予定でしたが、今日の山の予報は不安定とのことで、でかけるのを見送りました。
平野部は青い空、白い雲が広がり、気温は35℃に達しました。
11日からは「やまぐち」で爆煙を堪能してきたいと思います。
往路は新幹線、復路はマイカー@下関車を廃車回送する予定です。
e0056449_21155446.jpg

by crewcs77 | 2009-08-08 21:16 | 風景

最高試合

今年もまた甲子園を舞台にした国民的行事・高校野球がはじまろうとしています。
8月1日(土)のNHKアーカイブでは高校野球史上、最高試合といわれた箕島VS星陵の試合を振り返る番組を放映していました。
あれから30年。
緊迫するナイトゲームを手に汗、いや鳥肌を立てながら実況放送を見つめていたことをつい昨日のように思い
浮かべました。
NHKは総合テレビから教育テレビにリレーして放送しましたが、このときに記録した視聴率は教育テレビ史上
最高で、いまだにその記録は破られていないそうです。
当時、私は高校3年でしたから、あのゲームを演じた選手たちと同じ年代だった訳です。
その数年後、在学する大学で箕島高校の尾藤監督の講演がありました。
尾藤監督は講演の終わりを「作詞家・阿久悠氏」がこの試合を讃えた詩を紹介し、朗読しました。
タイトルは「最高試合」です。
////////
君らの熱闘の翌日から 甲子園は秋になった。
東南の海を駈ける台風が 思わず走りをとめてのぞくほど 試合は熱く長く激しく 翌日の空は 熱気をはらんでいるものの高く澄み もう秋だった。

それにしても君らが示したあの力は 一体何だったのだろうか。奇跡とよぶのはたやすい。だが 奇跡は一度だから奇跡であって 二度起きればこれは奇跡ではない。

言葉がない。言葉で示そうとするのがもどかしい 一瞬でいいつくす言葉の奇跡が ぼくにはほしい。
勝利は何度も背を向けた。 背を向けた勝利を振り向かせた快音が 一度 そして 二度起きたのだ 誰が予測できるだろう。祈ることはあっても 願うことはあっても 予測出来るはずがない。
ましてや 確信など誰にあろうか。

熱く長い夏の夜  人々の胸に不可能がないことを教え 君らは勝った。
球史にのこる名試合は
箕島・星稜
時は昭和54年8月16日。
君らの熱闘の翌日から  甲子園は秋になった。
////////
今年もまた熱い夏が来ようとしている。
e0056449_20591433.jpg

2005年8月20日 決勝戦 背番号「11」は高校2年の“まーくん”
by crewcs77 | 2009-08-01 20:42 | 野球