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Digital 四季彩感-森羅万象-PhotoBlog

栄枯盛衰

デジタルの機器の進化はめまぐるしく、各メーカーとも生き残りをかけた開発、販売競争が繰り広げられている。その競争に敗れることは淘汰を余儀なくされる。つい先日、Nikonが発表したフィルムカメラからの撤退(2機種のみ残存)は、エンドユーザーからすれば衝撃的なものであったが、その数日後、コニカミノルタがコアビジネスである(あった)フィルム及びカメラ生産から撤退するという報道は、それに拍車をかけた。コニカはすでに約20年前に「さくら」ブランドを捨て、コニカに統一して富士フィルムに次ぐシェア維持を目途としてきた。またカメラにおいては世界初の自動焦点カメラを開発し、ジャスピンコニカで一世を風靡してきた老舗中の老舗である。またミノルタも一眼レフではロッコールレンズとともに定評で、古き時代の一眼レフ市場を牽引してきた名門である。コニカがさくらブランドを捨てる頃には、「オートフォーカス一眼レフα7000」を世に出し、世界市場を席巻する商品を開発した。

資本主義の原理原則や時代の趨勢ゆえに止むをえないところがあるが、その昔、ビジネスにおいて両社ともかかわりをもってきた一個人としては感慨深いものがある。
何を隠そう(隠す必要は毛頭ないが)、私のビジネス界へのデビューは写真機材小売業である(今は業界も業種も職種も異なる)。某大手流通グループであったことから、小売業界においては店舗数も最大で、カメラ、フイルム、DPEにおいては国内マーケットのシェアを誇る会社であった。大卒といえど、はじめは現場修行がはじまる。若いときゆえに、目標があればがむしゃらにカメラを売りまくった。目標は売上高であり、同じ会社内の全国店舗のランキングである。今の時代で言えば超無謀であるが、利益なんかそっちのけ、売上が全て癒す戦略である。販売量、販売高においてメーカーに発言力を高め、仕入、値引き(バックマージン)交渉を強めていくという戦略である。そして仕入戦略としては、トップメーカーはあまりに相手にしない。トップメーカーとは利害の不一致が働くのである。圧倒的な流通量にモノを言わせて、業界2位以下のメーカーを贔屓にしていく戦術である。従って、フィルムメーカーであればコニカ、カメラ(一眼)であればキャノン、ミノルタといったところが手を組む相手となっていた。にもかかわらず、α7000が登場したときは、ド肝を抜かされた。なにせ、商品が潤沢に入らない。世には逆輸入品が出回ったが、それに手を出すわけにはいかない。現場としては商品さえあれば、いくらでも売れるから何がなんでも商品が欲しかった。顧客と約束をした日になっても入荷しないときもあり、他店では恥を忍んでヨドバシの店頭に購入に行ったというエピソードもある。α7000が誕生して、続いて、確か200/2.8の白レンズが128000円ぐらいの廉価で発売された。これがまた憧れの白レンズとしてよく売れたものだ。
また、コニカのフィルムをいかにして販売するか。この頃に「ママ撮って」が販売されたと思うが、店頭に陳列しているだけは売れるものではない。何もしないで売れるのは富士フィルムに決まっている。そこで販促企画として、フィルム2本セットに、今で言うプラレールのものをつけて販売することになった。恐らくそのおまけの方がフィルムより高かったと思う。売り場はたちまち、おもちゃ売り場の様相となった。子供づれの主婦を相手に爆発的な売れ行きを見せた。
かくして、がむしゃらには販売していた頃をいまだにふと思うが、その思い出とリンクするのがミノルタであり、コニカである。

千葉という慣れる土地の現場で、予算とランキングの闘いを3年間を過ごした。今思えば少しやりすぎたかも知れないと思うこともしばしば。表彰で認められることはあっても咎められることはまずなかった。ましてや、人事異動の発令先は本社・教育担当チーフであった。(ここでの思い出も尽きないものがあるが・・・)そしてその1年後、地区バイヤーを飛び越えて本社バイヤーとして、業界各メーカー、特約代理店との仕入れに携わってきた。厳しく言えば、日々メーカーとの価格交渉という決闘である。売上が全ても癒す反面で利を仕入れにあり。バイヤーは重責であったが、流通の中枢を担う仕事ができたことは今もって貴重な体験であった。その後、この業界(企業)においては、マーチャンダイザーという仕事を経験してスピンアウトした。
転職後、その会社はカメラ販売を撤退し、コアビジネスをDPEとして拡大発展していった。しかし、時代のデジタル化には勝てず、昨年、会社更生法を適用してしまった。
どんな業界、業種においても安泰できない時代である。
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by crewcs77 | 2006-01-25 21:53