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Digital 四季彩感-森羅万象-PhotoBlog

旧型客車の思い出

鉄道季刊雑誌「J-Train」最新号の特集は“旧型客車の時代”として懐かしい客車の魅力に迫っている。
30年前までは、全国の国鉄各線で当たり前のように見られた客車であるが、いまやそれは骨董品、いや文化財的な取り扱いとなっている。現役でほぼ毎日稼動しているのは大井川鉄道の蒸気機関車牽引列車ぐらいである。

いまでこそ、あの懐かしい客車のことを旧客と呼ぶが、私たちの世代にとっては旧も新もない。客車といえば基本的にこれしかなかった。晩年こそは50系という品のないレッドトレインがあったが。私が育った草津線(草津-柘植)は、東海道本線と関西本線をつなぐローカル線で朝夕を除いては1時間に1本の運転本数であった。下りで言えば、1番列車は5時台の草津行き気動車。一番列車はキハ30やキハ35を中心にキハ53やキハ55、キハ52などをぶら下げて(キハ53=高運転台・パノラミックウィンドー/亀山所属のキハ53-4は信楽線専用といっても過言ではない運用でした。後に小浜線などを経て、大糸線で全国最後の活躍、廃車)、バラエティー豊かな5-6連編成で草津へ下っていく。同編成は草津で折り返し、途中貴生川でキハ53+キハ55or52の信楽行きを切り離し、残り編成が柘植が戻ってくる。2番、3番、4番は客車10連(12連)による通勤・通学大量輸送である。この客車がまたカラーも車両もバラエティー豊かであった。客車の発着駅は亀山であり京都であった。幼少の頃は京都発和歌山市行きという変り種があったことも思い出である。和歌山が近いというイメージがなんとなくあったものだ。今考えれば、何の目的でこんなロングラン列車があったのか理解できない。京都から草津、草津線で柘植、加太を越えて、亀山、そこから紀勢本線で延々、和歌山市まで紀伊半島を走る抜ける。
草津線が蒸気機関車運用時代は、D51が亀山・柘植-草津間を牽引し、草津からの東海道本線はEF58が京都まで牽引していた。無煙化後は京都-亀山間を通して赤ブタDD51が先頭に立っていた。
ほんの30年前であるが、よくあんな不安全なものが本線上を走っていたものだ。客車のドアは手動。寒いとき以外はドアなんてしまっていないから、デッキは無防備そのもの。当時は転落事故もよくあったと聞く。中学生頃は、肝試しと称して走行中、しかも鉄橋上とかでデッキからデッキに移るアクロバットのようなことをしている同輩もいた。今、イベント車で用いられる旧型客車は、ドアごとに車掌がついて安全上手落ちがないようにして運行しているらしい。

客車の姿、ニスの臭い、長い間すわるとお尻が痛くなるシート。そうそう、シートが外れるので床に並べることもできました。サボ(行き先板)を駅手前で田んぼに放り投げて、あとから拾いにいく輩もいました。ドライバーを学生かばんから取り出し、灰皿も外す輩もいました。そういえば、客車の時代は全車喫煙車でした。と、いうより京都-西明石間が禁煙になったこと事態がセンセーショナルでした。客車は味わいがありました。駅手前で信号停止でもしようものなら、停止した付近に住んでいる人はこれ幸いとそこで列車から降りて帰宅されたものでした。

そんなローカル線も私が高校を卒業した昭和55年の春には電化されました。
電化直前の数ヶ月間は、当時の最新鋭車両キハ47、40などが大量に投入されてきたのは驚きでした。
電化後は115系が颯爽と走る風景に変りました。いまだに単線ローカル線の域は脱しませんが、当時の電化は沿線にとってはとてもめでたいことであったと思います。電化から遡ること、8年前まだはD51が煙モクモクで客車や貨物をひいていた線区でしたから。

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by crewcs77 | 2007-02-26 23:05 | 鉄道